偉人たちの恋愛エピソード

街コンレポート_手をつないで見つめ合い微笑んでいる外国人カップル

facebook”は失恋から生まれた!?facebook創始者の恋愛エピソード

好きな人にフラれ、人生のどん底のような気分を味わう“失恋”。フラれた時って、何もやる気が起きないし、まるで自信を失ってもう良い事がないような気がしますよね。でも世の中には、失恋をきっかけに成功を掴む人もいるんです。その1人が、あのSNSサービス“facebook”を創設したマーク・ザッカーバーグなんですよ。

マークはハーバード大学在学中、付き合っていた彼女にフラれ、失恋のストレスに苛まれました。そこで失恋の痛手を忘れるように打ち込んだのが、女子大生を人気投票して、ランキングできるサイト「フェイスマッシュ」の制作。

高校時代には既にハッキングの技術を持っていたマークは、大学のサーバーから女子学生たちの情報を盗み出しました。人気投票の仕組みは、2人の女子学生のデータをコンピューターが任意に選び出して、システムを利用する人がどちらが可愛いかを選びます。それを繰り返し、最終的に学校の一番可愛い女の子を決めるというもの。

爆発的に人気が出た「フェイスマッシュ」。開始からたった2時間で2万アクセスを獲得し、なんと大学のサーバーがパンクするほどだったとか。マークはこの経験を元に、このサイトがなぜヒットしたかを分析しました。このことが、後々世界的に使われるようになる“facebook”の元になったといわれています。

こういう話を聞くと、失恋で塞ぎこんでしまうより、怒りのエネルギーで新しいものに挑戦したほうが、生産的で良い事が起こりそうな気がしますよね。

スケールがでかい!世界の“玉の輿”エピソード

誰もが一度は夢見たことがある“玉の輿”。日本でも芸能人の玉の輿結婚などが時々世間を驚かせますが、世界の玉の輿エピソードはスケールがよりビッグでした。さっそく見ていきましょう。

「ガイ・リッチー」
映画『スナッチ』などの監督として知られるガイ・リッチーはマドンナと結婚し、逆・玉の輿に。2人の資産は5億2000万ドルといわれましたが、その大半がマドンナのものだったということです。2008年に離婚していますが、結婚当時は“史上最大の格差婚”として大きな注目を浴びました。まぁガイ・リッチーも結婚前から一般人よりはお金持ちだったんですけどね。
「アンナ・ニコール・スミス」
アメリカの『プレイボーイ』誌で、マリリン・モンローの再来と呼ばれたモデルのアンナ。26歳の時、なんと89歳の石油王と結婚! マスコミは財産目当ての結婚として騒ぎ立てました。しかし結婚からわずか13カ月後、夫が亡くなると、彼の遺書に遺産相続人としてアンナの名前がないという驚くべき結末が。アンナは遺産を巡って遺族と法廷で闘いましたが、39歳で不審な死を遂げました。
「ウォリス・シンプソン」
離婚歴があり、裕福な出自でもなかったウォリスが30代半ばに出会い恋に落ちたのが、英国王エドワード8世。彼女との恋を成就させるために、エドワード8世は王位を捨てて彼女と結婚しました。20世紀最大のスキャンダルとして映画にもなったんですよ。以上、世界の玉の輿エピソードでした。

牛若丸の母であり日本初のミスコン優勝者“常盤御前”の数奇な運命

女性たちが容姿を競い、美人ナンバーワンを決める“ミスコン”。華やかな女性たちの競演にうっとりしてしまいますが、皆さんこのミスコンがいつ頃から始まったものかご存知ですか? 実は日本で初めてミスコンが催されたのは平安時代。しかもそのミスコンで優勝した常盤御前は、「牛若丸」として知られる源義経の母であり、また平清盛の妾になったというから驚きです。

当時、都でも絶世の美女と評判だった常盤御前。あるとき、美しい女性が大好きな九条院(天皇の妻)が、自分のお世話係を選ぶと言いだし、都中の美人を1000人集めました。そこで審査によってナンバーワンに選ばれたのが常盤御前。

その美貌はミスコンの後も常盤御前の人生を大きく左右しました。源頼朝の側室となり3人の子供を生んだ常盤御前でしたが、平治の乱によって夫を失い、平家に追われる身に。捕えられた常盤御前はなんとか息子だけは助けて欲しいと、敵である平清盛に懇願します。すると平清盛は、常盤御前のあまりの美しさに参ってしまい、自分の妾になるなら息子を許してやると条件を出したとか。

美貌によって息子ともども命拾いした常盤御前。平清盛にとって敵方の妻を妾にするなんてリスキーとしか思えませんが、危険を冒してでも手に入れたいほどの美しさだったんでしょうね。

太古より女性が男性を守っていた!?古事記に記された恋物語

神代(かみよ:神話の時代)から推古天皇の時代に至るまで、さまざまな出来事が書き記された日本最古の歴史書・古事記。意外なこと(?)に古事記には、夫婦喧嘩が多く書かれているのですが、中には想いが強い女性の物語も。

第十二代景行天皇の息子・倭建命(やまとたけるのみこと)は東に向かう途中、舟で走水(三浦半島と房総半島の間)の海を渡ろうとします。しかし、海神の怒りを買い、海が大荒れに。そのとき立ち上がったのが后(きさい:正妻)・弟橘媛(おとたちばなひめ)。なんと弟橘媛は、「代わりにわたしが。あなたは使命を成し遂げてください!」と、海神の生贄になることを買って出て、海に身を投げたのです。すると荒れていた海は静まり、無事に倭建命は海を渡ることができたのでした。いかに好きとはいえ、その人のために死を選ぶなんて、そうそう真似できることではありませんよね。というか、最古の歴史書にこうした映画のような物語が記されていることに驚き。

交響曲「未完成」が本当に未完成の理由とは?映画に見るシューベルトの大悲恋

「野ばら」や「魔王」などの歌曲で知られることから、“歌曲の王”として知られるオーストリアの作曲家・シューベルト。かといって歌曲のみに留まりません。ピアノ曲や交響曲なども多く作っており、中でも交響曲「未完成」が有名。その曲を題材に作られた1933年の映画「未完成交響楽」が秀逸とご存知でしょうか?

質屋に通い、生活するためのお金を得る生活を送っていたシューベルトに、音楽を魅せる機会が訪れます。それはウィーン社交界で、足を運んだ人々は彼の演奏に酔いしれました。しかし、ひとりの女性の笑い声により、自尊心を傷つけられたシューベルトは演奏を止め、出ていってしまいました。ただ、女性はほかのことで笑っただけで、彼を笑ったわけではなかったのです。しばらくして、貧しい生活を続けるシューベルトに稼ぐ機会が。その仕事とは、とある伯爵の令嬢の音楽教師であり、何を隠そうその令嬢こそが、笑った張本人でした。社交界の無礼を詫びるために、わざわざシューベルトを音楽教師として呼んだというわけです。ほどなくして、ふたりは恋仲となるのですが、それをよく思わなかった伯爵は彼をウィーンへと追いやります。やがて彼は、令嬢がほかの男性と結婚することを知り、祝いの意味を込め令嬢のために、途中でやめてしまったあの時の曲を弾くことに。しかし、令嬢は悲しみに耐え切れず失神。それを見たシューベルトは、楽譜の終わり部分のページを破り、余白に「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた未完成なり」と書いたのでした…。

好きなあの娘の出身を隠語で?シューマンの代表曲「謝肉祭」に隠された悲恋

ピアニストを志すも、無理な練習で指を痛め、作曲家の道を選ぶこととなった、前期ロマン派を代表するシューマン。クラシックに疎い人には馴染みのない名ですが、シューマンが作った「謝肉祭」という曲に、悲しき物語が隠されているのでご紹介します。

全20曲からなるシューマンの代表曲「謝肉祭」の副題は、「4つの音符でつくられた小景」。これは“A-Es-C-H”(ラ・ミのフラット・ド・シ)を現したもので、自身の名(Schumann)に4文字も含まれていたこともあり、彼はその音型を愛したそうです。そんなシューマンは20歳の頃、エルネスティーネという17歳の少女に出会います。しかし、相思相愛だったにも関わらず、彼女の父親に恋を引き裂かれてしまったのだとか。その恋を曲にしたのが「謝肉祭」ですが、実はエルネスティーネの出身がアッシュ(ASCH)というボヘミアとザクセンの国境近くの町。察しのいい人は気づきましたか? “A-Es-C-H”には“ASCH”という意味も込められていたんです。

本当はテリーゼ?ベートーヴェンの名曲「エリーゼのために」に隠された悲恋

テレビやラジオ、イベント会場など、さまざまなところで耳にするクラシックの名曲の数々。演奏自体は知っていても、意味を問われると難しいですよね。中には恋愛エピソードが隠れた曲もあるんですよ。例えば、最重要人物・ベートーヴェンの曲とか。
クラシックの世界に影響を受けていない人はいないと言われるほど、偉大なベートーヴェン。彼は生涯独身だったことでも有名です。しかし、決して恋愛をしてこなかったわけではなく、むしろ惚れっぽく突き進むタイプだったとのこと。40歳だったベートーヴェンが恋をし、それを曲にしたのが「エリーゼのために」。では、恋した相手の名前がエリーゼかというと、どうやら“テリーゼ”だったそうです。というのも、ベートーヴェンの字が汚く、“エリーゼ”と読まれてしまったみたいですよ。さて、そのテリーゼですが、ベートーヴェンが40歳であるのに対し、彼女はまだ18歳。また、彼女はベートーヴェンの主治医の姪のため、身分も違い、結婚どころか交際すら許されなかったといいます。「エリーゼのために」が前半明るく始まり、途中から物悲しく激しい曲へと変化するのは、テリーゼとの恋を表現した曲だからなんですね。

フラれた腹いせに…!?恋多き画家・ピカソの恋愛エピソード

世界一有名な画家であり、キュビズムの創始者パブロ・ピカソ。ピカソは画家としても有名でしたが、多くの女性と激しい恋をしたことでも知られています。結婚を2回、また3人の女性との間に4人の子供がいたとか。そんなピカソの人並みじゃない恋愛エピソードをご紹介します。

ピカソの恋は、彼の芸術と密接に繋がっていました。知られているだけでも7人の女性と恋愛をしましたが、新しい女性と恋に落ちるたびに芸術的なインスピレーションを受け、作風が変わったと言います。恋愛中の女性をモデルにして描くとき、愛情が深いときは美しく、冷めてしまうと醜く描いたとか。ちょっと露骨ですよね。

次々に新しい女性に恋をしたその陰には、捨てられた女性も多くいたわけですが、唯一ピカソを捨てた女性がいました。画家のフランソワーズ・ジローです。美しく頭も良かったフランソワーズ。ピカソは奥さんがいながらフランソワーズに夢中になり、2人の間には子供もできました。しかしフランソワーズは芸術家らしい気まぐれなピカソに付き合っているうちに「自分が壊れてしまう」と思い、ピカソから離れました。

まさか振られるとは思わなかったピカソは、フランソワーズに対して復習を企てます。妻が病死したのを期に、フランソワーズに求婚を迫ったのです。その時既に夫がいたフランソワーズでしたが、ピカソの熱意に押され離婚。ピカソと再婚しようとしたところ、ピカソはここぞとばかりに別の女性と再婚してしまったそうです。

いくら情熱的な芸術家といっても、ピカソの仕打ちはちょっとやりすぎですよね!

恋多き文豪家・サン=テグジュペリが伝える愛の言葉と、彼の恋愛事情

フランスの名作『星の王子さま』。あの宮崎駿監督も「最初に読みおえた時の気持が忘れられません。言葉にすると何か大切なものがぬけ出てしまうような気がして、だまりこくってシーンとしていました」と語るほど、多くの人から支持を受けています。そんな名作を生み出したサン=テグジュペリは、実は恋愛経験も豊富で、ロマンチックな“愛のことば”をいくつか残しています。今回は、愛の言葉と共に、彼の恋愛について見てみましょう。

「僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ」
ちょっと歯の浮くような言葉ですが、言われて嫌な気持ちはしませんよね。サン=テグジュペリは、作家だけでなく、パイロットとして、ヨーロッパ~南米間の飛行航路開拓や、戦争にも携わっていました。死と隣り合わせの中、妻コンスエロとのささいな時間は彼にとっては最愛の時間だったのかもしれません。

「本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところに始まるのだ。」
愛に見返りを求めるのはご法度ですが、自然と「自分がこうしたんだから~、相手にも~…」なんて考えてしまったことはありませんか? 相手が好きだからこそ、“無償の愛”で包み込んであげることが大切です。彼も、13年間に渡って熱烈なラブレターを妻に送っていたそうで、忠実に妻を愛し続けました。いや…ロマンチックですね。

「彼女はぼくをいい匂いでつつみ、明るくしてくれたんだ。ぼくはぜったい逃げてはいけなかったんだ! 彼女の下手な駆け引きの裏にある優しさを見抜くべきだったんだ。でも、ぼくは彼女を愛するには若すぎた」
散々、妻一筋と言ってきましたが、実は愛人も居たりと、恋多き人物でした。彼が有名になるにつれ周りには女の人が増え、朝帰りも頻繁にあったようです。気さくな妻も、さすがにこれにはかなりご立腹で、口論にまでなり、離婚寸前にまでなったようです。こう見てみるとこの言葉、かなり言い訳がましく見えてしまいますが、自分を振り返らない浮気男よりは数倍もマシですね。

結局2人は仲直りをし(話はそう簡単ではないのですが、めちゃくちゃ長いので省略)、彼は最後のときまで、妻の名と連絡先を刻んだブレスレットを身につけていたそうです。他にも、彼が紡いだ愛の言葉がたくさんあるので、気になる人はぜひチェックしてみてください。

失恋が大きな転機に…女性初のノーベル賞受賞者“キュリー夫人”の恋愛エピソード

放射線の研究で女性として初めてノーベル物理学賞と、ノーベル化学賞を受賞したことで有名なマリ・キュリー、通称「キュリー夫人」。研究者ということで恋愛には無縁そうなイメージがありますが、身分違いの恋、失恋、運命の相手との出会いなど、濃厚な恋愛の経験をしていたようです。

マリ(キュリー婦人)は学生時代、住み込みの家庭教師として働いていました。そこでキュリーは一家の長男と恋に落ちることに。お互いに惹かれあい、2人は恋仲になりましたが、長男が結婚の希望を両親に話したところ猛反対を受けます。理由は社会的地位の差。身分違いで恋が許されない時代だったのです。

失恋しても契約期間は家庭教師を務め上げたマリでしたが、そんな時にパリに住む姉から「一緒に住もう」と誘いの手紙が来ます。紆余曲折ありながらもマリはパリへ移り、働きながら大学に通い、物理学の勉強に打ち込んでいくのです。

そんなある日、研究室で将来の夫となるピエール・キュリーと出会います。マリに一目惚れしたピエールは、初めてのプレゼントとしてマリに「対称性」についての彼の新論文をあげたとか。う~ん、相当な変わり者ですね。しかしこれをマリが気に入り、ピエールはその後、公私共に良きパートナーとなり、マリの研究を支えました。

身分違いによる悲劇的な失恋はしましたが、パリで研究の支えとなる夫と出会えたのはまさに運命的。失恋がなければ、ノーベル賞を受賞することも無かったかもしれませんね。運命って不思議!

平安時代のプレイボーイ“在原業平”の引き裂かれた恋

今の時代、恋愛は割と自由ですよね。身分違いの恋で批判されることもなければ、年の差婚で批判されることもありません。それに比べて『伊勢物語』に描かれている平安時代は、結婚や恋愛に政治や策略、身分などが絡み、自由な恋愛ができなかったようです。当時イケメンとして名を馳せた在原業平も上手くいかない恋に苦しんだとか。

平安時代きってのプレイボーイとして数多くの女性と浮名を流した在原業平でしたが、付き合った相手、藤原高子との恋は上手くいきませんでした。それもそのはず、平安時代は、藤原氏が政治的策略で娘や姪を身分の高い人と結婚させる“摂関政治”を行っていた真っ最中。17歳の藤原高子は9歳の清和天皇と政略結婚をさせられることに決まっていました。

業平が高子に会ったのはその婚約の祝いの席。業平は高子の美しさに一目惚れします。高子も業平の大人の魅力に惹かれ、2人は隠れて逢瀬を重ねることに。そしてとうとう駆け落ちをしようという所で、藤原家に交際がばれ、2人の仲は引き裂かれました。業平も高貴な身分でしたが、天皇の婚約者に手を出したということで、大スキャンダルになったそうです。

身分の違いや政治的策略のために、恋が自由に許されない当時のことを考えると、現代は恵まれているのかも? せっかくですから、どんどん恋を謳歌しちゃいましょう。

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